平城宮は、和銅3(710)年に造営された平城京の北寄りに位置する国の中枢でした。宮内には、天皇が暮らす内裏をはじめ、政治や儀式の舞台となった大極殿などがありました。昭和30(1955)年、本格的に発掘調査が始まり、主要な建物が復元され、かつての姿を取り戻しつつあります。
平城京と平城宮
和銅3(710)年、藤原京(現・奈良県橿原市)から、奈良盆地の北側に、新しい都・平城京が作られました。この都は、唐の長安をモデルに設計され、南北約5km、東西約6kmの広さで、都の中央北側には、政治の中心を担う「平城宮」が造られました。平城宮は約1km四方で、大極殿、朝堂院などの宮殿や、天皇の住まいである内裏を取り囲んで国の役所が並んでいました。
復元された建物はいずれも圧巻のスケール
平城宮のメインゲートである「朱雀門」。幅75mの朱雀大路に面してそびえ、間口25m、高さ22mという規模。当時は外国使節を送迎したり、人々が集まるイベントスペースとしても使われていたそうです。都で最も神聖な場所である「第一次大極殿」は、天皇即位の儀式や元旦の朝賀、外国使節との謁見が催された重要な建物でした。また「東院庭園」は、外国使節をもてなす迎賓館でもあった庭園です。貴重な古代庭園として特別名勝にも指定されています。
遺構展示館や平城宮跡資料館へもぜひ
「遺構展示館」は、建物群が発見当時の状態で保存されていて、考古学ファンにはたまらない必見のスポットです。また、天平17(745)年に再び都になった平城京に造られた新大極殿「第二次大極殿」には、基壇と幢幡だけが復元されています。最初に予習していくかそれとも復習するか。発掘品だけでなく宮殿内部の様子から役所の仕事までわかりやすく展示した「平城宮資料館」も外せないスポットです。