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特集特集

2015.03.20

ENDLESS SUMMER

writer : 照屋正男

僕が高校生の頃は、海外旅行は一般的ではなく
一生に一回いけるかどうかというものだった。
その頃は「HIS」も「地球の歩き方」もなかった。
僕はTVや映画で観るアメリカに憧れた。
自由を大切にし、全ての人にチャンスがあり、努力が報われる国。
ジェームスディーンのリーバイスにあこがれ、エアロスミスや
ドン・ヘンリーを聴き、コカコーラを飲んでは
アメリカに近づいた気がしていた。
アメリアに憧れ、いつかアメリカに行きたい。アメリカに関わりたい。
アメリカンドリームを夢見たいと考えていた。

大学にはいって学生ツアーに所属した僕は、
1回生のときに添乗で40時間かけて船で
那覇へ行ったのがはじめてだった。
はじめての沖縄へツアー客と一緒に迷い込んだ
見るものすべてが新鮮で衝撃だった。
景色は行ったことないけど“外国”みたいだった
海は、信号機の青色のような鮮やかな色だった。
沖縄の人には内地の人とちがった風貌や言葉(方言)があり、
人懐っこさがあった。
あきらかに違う生活習慣があった。
そしてそこに“アメリカ”があった。
コザの街はやたらとアルファベットの看板が多く、
金武は日本ではなかった。
酒を飲んで暴れてるキッズ(初年兵)、
フィリピーナがストリップしてる怪しげなバーでは
ドルを握りしめた米兵が舞台に押しかける。
ビーチへむかって58号線を北上すると、
嘉手納基地あたりでパームツリーがつづき、
FEN(米軍放送)を聞きながらドライブするとまるで外国にいる気分だ。
沖縄の若者はクルマにバーベキューセットを載せて
ビーチへ行き、音楽を流し、酒を飲むといった遊びをする。

それでいて、民家から聞こえてくる三線の音、
各家に据え置かれたシーサー、かりゆしウェア(アロハシャツ)、
ゴーヤちゃんぷる等の琉球料理といったものは、
アメリカとはかけはなれた琉球特有のものだ。
電車の無い沖縄では終電までに帰るという概念がない。
ツアー客を連れて地元のクラブへ行き、ガンガンの音楽に乗り、
泡盛やらスコッチやらたくさん飲んで、
夜も遅くなると店員も一緒になって朝まで踊った。
あたたかい気候と酒がお祭り気分をつくり、
人懐っこい沖縄人が盛り上げる。
わけがわからないというか混沌としているというか
いわゆる“ちゃんぷる”なんだ。
琉球古来の文化と中国大陸の文化とアメリカの文化が
ちゃんぷるした(混ざった)独特の文化。
僕はそこにはまった。
沖縄で人生初のカルチャーショックを受けた。
その後、どんどんと沖縄の深いところへとはいっていく。

そのうち僕は多くの人たちに沖縄の本当の良さを
わかってもらいたいと思うようになった。
日本だけでなく世界中の人たちに沖縄を好きに
なってほしいと思うようになった。
「旅」には人生をかえてしまう力がある。
よりよく生きたいというエネルギーを与えてくれる。
沖縄にはその力がある。

それに、もっと手軽に沖縄へ行ける環境をつくりたいと思った。
どうすれば、沖縄へ行く航空券を安く調達することが
できるのだろうかとか、
ワクワクしながらいろんな課題が頭にうかぶ。
僕は、4年間勉強してきた建築家になる夢を捨て、
今でいうベンチャーの小さな旅行会社で修行する決心をした。
1983年の秋だった。

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