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観光観光

2015.10.07

[宮古島]日本最南端の神社
宮古神社で感じる沖縄の心

writer : 砂川葉子

宮古神社は、琉球国総守護人の神々と、宮古島が開闢(かいびゃく)以来の英祖と崇めるられる豊見親三柱(とぅゆみやみはしら)とを祀り、神社本庁包括下の神社としては、国内最南端の神社。随所に沖縄らしさを感じる造り、青い海と伊良部大橋をのぞむ開放的な眺め、宮古神社には、南国特有な緩やかな空気が流れている。
国内最南端の宮古神社
周辺には、漲水御嶽や石畳道、仲宗根豊見親の墓など、宮古島の歴史を感じさせるスッポトが数多くある。宮古神社とその周辺を歩いてみれば、美しい景色と激動の宮古島の歴史、そして宮古人の魂に出合うことでしょう。

日本最南端の神社・宮古神社に感じる沖縄らしさ

日本最南端の神社・宮古神社は、神社でありながらも随所で沖縄らしさが感じられる
参道の両側には、玉砂利ではなく緑緑しい芝生
まっすぐ伸びた参道の両側には、玉砂利ではなく緑緑しい芝生。拝殿の両側にある社務所と休憩所は琉球瓦が使用されており、まるで沖縄の民家を思わすような作りになっている。手水舎にも、琉球瓦が使用されている。
参道の左手側からは、3540m日本一長い無料の橋・伊良部大橋を望む
参道の左手側からは、3540m日本一長い無料の橋・伊良部大橋を望む。緑緑しい芝生に、琉球瓦に、青い海。近所の保育園からは、園児のかわいらしい歌声が聞こえてきて、なんとも大らかな空気が流れる宮古神社。
真ん中に左三つ巴の御紋
社殿を見上げれば、ここにも沖縄らしさを感じる。波、花、風をあしらった模様で彩られています。真ん中には左三つ巴の御紋。これはまさしく、琉球王朝尚家の御紋。なぜ、尚家の御紋が宮古神社に?それを紐解くには、宮古島の歴史を遡らなけれななりません。

宮古神社の歴史~琉球王朝編

時は琉球王朝時代。宮古島の志里萬(しりま)の里に住んでいた、大首里大屋子(うぷしゅりおぶやぐ)の平良(たいら)が王府への貢納品を納めて宮古島へ帰る途中、逆風にみまわれ高麗(朝鮮)へと漂着する。言葉も通じず、風貌も異なることから、直ちに捕えられ、異国からの賊とみなされ、正に斬られようとした瞬間、彼は琉球国の神々に祈り、地に「琉球」の二文字を書き記して見せた。するとたちまち、琉球人であることが認められ縄を解かれた。それから8年間高麗と北京で過ごしたのち、琉球進貢史使とともに、故郷宮古島へたどり着いた。平良はすべては琉球国の神々の御蔭であると信心し、1599年~1600年頃に、琉球王朝の御神である波上宮の神を御霊分けし、宮古島へ勧請(かんじょう)され祀られることとなった。
琉球王朝は瓦葺の社を造営し権現堂として祀られた
琉球王朝は瓦葺の社を造営し、その御霊は権現堂として祀られた。これが、宮古神社の草創期の由来である。

宮古神社の歴史~戦前戦後編

時は大正14年、宮古島開闢以来の英祖と崇めるられる與那覇勢頭豊見親(ゆなばしどとぅみやー)と仲宗根豊見親の二柱とし、宮古神社は社殿が竣工されるも、昭和10年代に至っても、国の公認神社となる手続きが完了せぬ中、台風や白蟻の被害を受け、宮古権現堂と共に荒廃していく。昭和15年、権現堂と宮古神社の御祭神を合祀し、新宮古神社の建立が決定。昭和18年に西里5番地に新社殿が竣工するも、第二次世界大戦中に宮古島空襲の惨禍に遭うが、社殿は健在であった。しかし諸事情で、御祭神は漲水御嶽に一時遷祀されることとなる。漲水御嶽とは、宮古の創世神話の神々が祀られており、島民に尊ばれてきた土地の神様の住む場所。
漲水御嶽に遷祀されていた御祭神は宮古神社に祀られた
昭和31年に目黒盛豊見親(みぐるむぃとぅみやー)を御祭神に加え、昭和55年に社殿の竣工により遷座祭が斎行され、漲水御嶽に遷祀されていた御祭神は、約30年の時を経て宮古神社に祀られた。

宮古神社が見せるさまざまな顔

それから、約30年あまり宮古神社の老朽化が著しくなり、約400年前に宮古権現堂が建立された、まさに宮古神社創始の場所に、平成23年、現在の社殿が建立された。宮古神社に祀られる三豊見親とは、與那覇勢登豊見親、目黒盛豊見親、仲宗根豊見親で、宮古島の発展の要となる歴史上の人物である。このように神社で守り神と先祖親を共に祀るというのは、全国的にも稀だ。
沖縄の御嶽で見られるような香炉がある
宮古神社に沖縄の御嶽で見られるような香炉があることも稀なことで、手水舎の近くにある香炉には、沖縄特有の太い線香が供えられていた。戦後に宮古神社の祭神が漲水御嶽に遷祀されていたころに、実際に使われていた香炉が、時を経て今の宮古神社に治められ、今もなお祈りが捧げられている。日本最南端の宮古神社には、実にさまざまな顔と歴史がある。単に、建物や雰囲気が沖縄らしさがあるのでなく、宮古神社の歴史そのものが、沖縄の歴史そのものなのだ。

宮古神社が地元に愛され続ける理由

宮古神社の権禰宣(ごんねぎ)の奥間さんは、戦時中の宮古神社の竣工は、島民のアララガマ精神(=不屈の精神)を感じずにはいられないと同時に不思議さを感じる、と当時に思いを馳せた。そして、「神道は、山や或は岩、木を御神体とする自然崇拝で、それは沖縄の御嶽信仰と同じと考えるわけさ」という。神道と御嶽信仰や先祖崇拝を線引きしなかったから、戦後、宮古神社の祭神が30年に渡り漲水御嶽に遷祀(せんぐう)されたり、神社内に香炉があり、線香が捧げられているのではないかと奥間さんは考察している。これが宮古神社が島民に愛され慕われ続ける理由なのかもしれない。
宮古神社の祭神が30年に渡り漲水御嶽に遷祀(せんぐう)された
戦後、焼け残った社殿は避難所や、キリスト教布教の活動場所に使用され、社殿に十字架が掲げられた写真が残されており、宮古神社から、沖縄の激動の歴史を垣間見ると同時に、多様な時代を強くたくましく歩んできた宮古人の大らかな魂を感じた。

スマートポイント

  • 宮古神社近くには、漲水御嶽や仲宗根豊見親の墓、18世紀に作れたという石畳道が残っていて、歴史散策にももってこいです。
  • 宮古神社は沖縄本島にある波上宮から御霊分けされており、いわば親せきのような関係です。沖縄本島にご旅行の際は波上宮もチェックしてみてください。
  • 宮古神社の左手側からは伊良部大橋、また裏手側からは平良港を見下ろし、どちらからも眺めは雄大です。

ライターのおすすめ

御嶽信仰、先祖崇拝が根強い宮古島でありながらも、島民に愛される宮古神社。歴史的背景もおもしろいですが、不思議と居心地の良い場所でもあります。こういうのをパワースポットというのかな?と思っています。

砂川葉子

岐阜県出身、宮古島諸島のどこかの小さな島に在住。農業と民宿業、島興し業と並行してライター業にも携わる。

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