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観光観光

2015.11.09

王家の墓に愛憎劇アリ!
世界遺産・玉陵

writer : いのうえちず

沖縄本島、それも那覇市の定番観光地といえば、
首里城を思い浮かべる人は多いはず。
でも、限られた時間の中で、首里城から歩いて4分の
世界遺産・玉陵まで足を伸ばす人はそう多くないのでは?
それ、実はもったいないことなのです。
入場料たったの300円で見られるのは、
1501年の建立から現代までつながる、琉球・沖縄のドラマ。
王家の陵墓に秘められた愛憎劇を知らずして首里は語れません。
次の沖縄旅行では、ぜひ足を伸ばしてみてはいかが。
世界遺産・玉陵

第二尚氏、王位を巡る愛憎劇

ちょっとだけ琉球史のおさらいをします。
沖縄にも群雄割拠の時代があり、中山王・尚巴志によって本島内が統一されたのは1429年のこと。1470年、重臣だった金丸はクーデターを起こし、自ら即位して尚円と名乗って中国との外交関係を継承しました。そこで尚巴志の王統を第一尚氏、尚円以降の王統を第二尚氏と呼びます。尚円が1477年に亡くなると、息子の尚宣威が即位しますが、わずか半年で失脚。代わって、尚宣威の母親とは別の妃であるオギヤカの息子・尚真が12歳で即位します。この尚真王が、父・尚円王の遺骨を改葬するために建造したのが、玉陵です。
たった半年で失脚した兄に代わり、わずか12歳で即位した弟。この異母兄弟による交代劇には、母后オギヤカの力が働いたと見られています。それを物語っているのが、玉陵中門の左手にある「玉陵碑」なのです。
碑文には玉陵に葬られるべき人物として、尚真王の他に8人の名前が記され、もしこの書き付けに背くなら「天に仰ぎ、地に伏して祟るべし」と宣言されています。この8人の中に、失脚した尚宣威や、尚宣威の娘で尚真王の正室だった居仁は含まれておらず、他はすべてオギヤカの血を引く者ばかり。王家の権力争いと愛憎劇が、碑文の行間から伝わってきます。
玉陵碑

玉陵を巡るミステリー

第二尚氏を築いた尚円と自分の血を引く人間以外は、この墓に入ることを許さない!という執念を感じさせるオギヤカですが、玉陵にはハッキリと
オギヤカのものだとわかる厨子甕(琉球・沖縄の骨壺)が、実はありません。通常、厨子甕には誰のお骨が入っているかを明記する「銘書き」があるため、葬られている個人が特定できるのですが、「オギヤカですよ」と書いてある厨子甕が玉陵では発見されていないのです。実は尚円王の出身地である伊是名島には、尚円王の親きょうだいが葬られている「伊是名玉陵」があるのですが、そこに納められている厨子甕の一つが、どうもオギヤカのものではないかという説があるのです。
尚真王はさまざまな業績を残した名君で、その業績の一つが殉死の廃止です。当時、身分の高い人が死ぬと、家来や子どものいない妻は殉死するという風習がありました。尚真王はオギヤカが亡くなると「これまでのように殉死する必要はない」と命じ、侍女や家来の命を救いました。自分を王位に就けた母を、敬愛する父とは別に葬ったのが尚真王だったとしたら…ここにも親子の複雑な感情が見え隠れするかのようです。
さて、玉陵にはもう一つのミステリーがあります。それは「誰だかわからないナゾの厨子甕」があること。
墓室の前の石製欄干

忠臣・木田大時が死後も王族を守る?!

琉球では、人が亡くなると亡骸を何年か置いておき、皮膚などを取り除いて骨を洗い、厨子甕に納めるという、風葬から洗骨・改葬を行う風習がありました(現在は火葬が主流で、洗骨はほとんどなくなっています)。玉陵でも真ん中の扉の中は遺体を保管するスペースでした。この中室内には誰のものかわからないナゾの厨子甕がポツンと一つ置かれています。国王・王妃、王族の厨子甕は東室・西室に分けて置かれるので、遺体置き場の中室に一つだけ厨子甕があるのは奇妙な話です。
伝承によると、この厨子甕は尚真王に忠義を尽くした「木田大時(むくたうふとぅち)」であるとされます。死後も永遠に、朽ちてゆく王族の姿を見届ける。いくら忠臣でも、ちょっと働き過ぎのようにも思えますね。
遺体置き場の中室

昔の首里城の姿を学ぶ

玉陵では意外な首里城の姿を学ぶことができます。実は首里城は火事などで焼け落ち、何度か建て直されているのです。現在、復元されている赤瓦で漆塗りの首里城は、1712年頃に建てられたものがモデルで、その前は黒っぽい高麗瓦、さらに1671年より以前は板葺き屋根だったことがわかっています。玉陵が建造されたのは1501年。ちょうどそのころの板葺き屋根の首里城を模して建てられたとされる、いわば「あの世の王宮」なのです。
屋根のある家のような形をした墓は破風墓と呼ばれ、玉陵は沖縄で最も古い破風墓と言われています。また、屋根の上に乗っている大きなシーサーは、それぞれ、外の通路、外門から入ってくる人、中門から入ってくる人をにらむようにデザインされています。門をくぐるたび、どのシーサーの視線を感じるか探してみて。
1501年頃の首里城を模して建てられた玉陵

琉球王国消滅後のドラマ

1879年に琉球国が沖縄県として日本に併合(いわゆる琉球処分)されると、首里城から追い出された王族は東京へ移り住むことを強要されました。最後の琉球国王・尚泰(後に侯爵となった)が没したのは1901年。その葬儀の様子が玉陵の資料展示コーナーに展示されていますのでお見逃しなく。
尚泰王の長子である尚典侯爵までは玉陵に葬られましたが、孫にあたる尚昌侯爵(1923年没)の墓は東京にあります。
1945年、沖縄戦で玉陵も一部が損壊しました。1972年、沖縄県の本土復帰と同時に、玉陵墓室石牆(たまうどぅん ぼしつ せきしょう)が国指定有形文化財建造物に、玉陵全体は国指定記念物史跡に指定されました。
また、尚泰王のひ孫にあたる尚裕氏が私財を投じて1974年から修復工事を行い、3年かけて完成。1992年に那覇市へと無償で寄贈されました。同氏は1996年に亡くなった後、伊是名玉陵へ葬られています。玉陵は2000年に
「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されました。
玉陵は、王家の血を引く分家の子孫の皆さんにとって、今でもご先祖さまのお墓です。外側の香炉から遥拝している人達に遭遇したら、そっと見守りましょう。不躾に正面をふさいでカメラを向けたりしないでくださいね。
玉陵

スマートポイント

  • モノレールフリー乗車券の提示で観覧料300円が240円に割引になりますよ。
  • 券売所のある奉円館の資料展示コーナーで基礎知識を勉強してから見学すると、より深く楽しめます。
  • 入場は夕方5時半までと早いので、気をつけて!首里城とどっちが先か迷ったら、玉陵からがオススメ。

ライターのおすすめ

問題の玉陵碑は漢字かな混じりの文章で書かれているので、意外と読めてしまいます。ぜひチェックしてみて。また、精巧な石彫技術は美術品並み。手すりの彫りや、シーサーの表情をよーく見てみてくださいね。

いのうえちず

沖縄に惹かれて2011年移住。沖縄の文化誌『モモト』副編集長。歴史・文化系の記事が得意。​

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