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観光観光

2015.12.08

タダで見られる世界遺産
園比屋武御嶽石門の歴史さんぽ

writer : いのうえちず

沖縄には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として
世界遺産に登録されている場所が全部で9カ所あります。
今回は無料で見られる園比屋武御嶽石門を中心にした、
琉球の歴史さんぽコースをご案内しましょう。
中山門跡の看板があるお店・琉染

双子の門 中山門と守礼門

まずは幻となってしまった双子の門のお話から。
サンゴ染め体験プログラムが人気のお店・琉染の外に
「中山門跡」という大きな看板があります。
ここは沖縄本島を統一した尚巴志が1428年に建てた中山門があった場所。
ここから守礼門までの道は「綾門(あいじょう)大道(うふみち)」と呼ばれ、
首里城へのメインルート、言わば国道一号線として整備されました。
この中山門を模して1529年に守礼門が作られたのです。
中山門は、1879年に琉球が日本に併合されてから約30年後の1908年、
老朽化を理由に売却され、銭湯の薪になってしまったと伝わります。
綾門大道
綾門大道は、別名「香(こう)粉(ぐー)道(みち)」。
漆喰とネナシカズラの汁を混ぜたもので舗装されていました。
この舗装は1945年の沖縄戦まで現役で、
戦前の首里を知る人々は「雨の日はよく滑って危なかった」と言います。
守礼門

記念撮影スポット、守礼門

世界遺産・玉陵を通り過ぎて横断歩道を渡ると、守礼門が見えてきます。
実はこの門の名前は時代と共に変わりました。
建造当初は「待賢」という扁額が掲げられていたことから待賢門、
次に「首里」の扁額が掲げられたことから首里門、
尚永王の代に「守禮之邦」の扁額が作られて冊封使の滞在中のみ掲げられ、
尚質王の代に「守禮之邦」が常時掲げられるようになってから
守礼門という呼び名が定着したのです。
守礼門は別名「上(うぃー)の(ぬ)綾(あや)門(じょう)」、
中山門は「下(しちゃ)の(ぬ)綾門(あやじょう)」と呼ばれていました。
守礼門は1933年に国宝に指定され、解体修理工事が行われました。
1945年に沖縄戦で焼失しましたが、1958年に復元されました。
園比屋武御嶽石門

これが世界遺産、園比屋武御嶽石門!

守礼門をくぐると左手に、園比屋武御嶽石門があります。創建は1519年。
ここは、国王が外出する際に立ち寄って道中の安全を祈願した場所。
琉球の祭祀を司る最高神女・聞得大君が就任する儀式(御新下(うあらう)り)の際も必ずここで拝礼したと伝わる、琉球王朝ゆかりの聖地なのです。
といっても、拝むのは門の背後の森。この門は、ここから先は聖地だから、
人間は門の手前で拝みなさいという
「神への礼拝の門」として造られました。
戦前、石門の裏手に小学校もできて森は狭くなりましたが、
聖地であることに変わりはなく、今も参拝する人が絶えません。
この石門の建築工事を担当したのは、竹富島出身の西塘(にしとう)。
西塘は、王府軍が1500年に石垣島周辺の島々を平定した際、
竹富島から捕虜として首里へ連れ帰った少年だと伝わっています。
王府高官の家で教育を受けた彼は、成人後は石造建築の分野で手腕を発揮。
その功績が認められ、晩年は故郷の八重山に行政長官として赴任しました。
竹富島に伝わる話によると、彼は園比屋武御嶽石門の工事にあたり、
「私を故郷に帰してくれたら、竹富島に園比屋武御嶽の神さまを
お祀りする御嶽をつくります」と願をかけたのだそう。
帰郷後は竹富島に国仲御嶽を造り、神さまとの約束を果たしました。
首里と竹富島、意外なつながりがあるんですね。
園比屋武御嶽石門は沖縄戦で一部破損。1957年に復元されました。
扁額は琉球最古の候文で書かれているのでチェックしてみてくださいね。
龍潭

尚巴志が築いた龍潭へ

園比屋武御嶽石門の前の坂道をちょっと下ると、左手に階段があります。
その先には石橋の龍(りゅう)淵(えん)橋(きょう)があり、右手が円鑑池、左手が龍潭です。
かつてこの辺りにあった『安国山樹花木之記』碑(1427年)によると、
「安国山に龍潭を掘り、香りのする木や花を植え、
万人が利用できるようにして太平の世のシンボルとして永遠の記念とした」
などと書かれています。沖縄本島を統一した尚巴志王の時代に、
国相(総理大臣クラス)で中国人の懐機が中心となって人工池を造成し、
この辺り一帯を琉球最古の公園として整備したんですね。
龍潭では中国皇帝の使者・冊封使を歓待する船遊びの宴も開催されました。
円鑑池と弁財天堂

絵になる撮影ポイント、円鑑池と弁財天堂

円鑑池もまた1502年に造成された人工池で、
首里城や円覚寺からの湧き水や雨水がここへ流れ込み、
さらにあふれた水が龍潭へ流れる仕組みになっていました。
ここも沖縄戦で破壊されましたが1968年に修復。
中之島には1502年当時、朝鮮から琉球へ贈られた「方冊蔵(ほうさつぞう)経(きょう)」を納める
経蔵が建立されました。1609年の薩摩侵攻侵で破壊され、1629年に修復。
同時に円覚寺の弁財天像を安置し、弁財天堂(べざいてんどう)と呼ばれるようになりました。
中之島へ渡る橋は、日本で最古の石造アーチ橋・天女橋です。
アーチに沿って床面に高低差がある駝(だ)背(はい)橋(きょう)は中国南部によくある形式。
1502年の架橋当時は観(かん)蓮(れん)橋(きょう)という名前でした。
長崎の眼鏡橋が1634年建造ですから、こちらのほうが先輩ですね。
厳密にいえば当時、沖縄は琉球という別の国なので、
「日本最古の石造アーチ橋」といえば眼鏡橋ということになります。
残念なことに1945年の沖縄戦で大破し、現在の天女橋は復元されたものです。
久慶門
さて、円覚寺方面から首里城のほうを見上げてみましょう。
現在の見学コースでは出口にあたる久慶門は、
かつて王府に勤務する役人が出入りする通用門でした。
朝夕は琉装姿のお役人たちの通勤風景が見られたんでしょうね。

スマートポイント

  • 和・中折衷の琉球デザインに注目!宝珠やシャチホコなどの完成度も高い!
  • 守礼門で写真を撮るなら午後がオススメ。午前中は逆光です。このさんぽコースは日没後もライトアップが幻想的!
  • 首里城公園の駐車場は、午前中は大型バスで混雑するので午後が入りやすいですよ。満車なら周辺のコインパーキングをどうぞ。

ライターのおすすめ

首里には歴史を感じさせるスポットがたくさんあります。首里城周辺だけでも見どころ満載なので、本当はじっくり1日かけて歩いてほしい場所。首里城有料区域だけをかけあしで見るのはもったいないですよ。

いのうえちず

沖縄に惹かれて2011年移住。沖縄の文化誌『モモト』副編集長。歴史・文化系の記事が得意。​

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