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観光観光

2015.10.05

もう一つの沖縄をたどる旅.2
ひめゆり平和祈念資料館

writer : 福田展也

ひめゆり平和祈念資料館
もう一つの沖縄をたどる旅 vol.1』で取り上げた旧海軍司令部壕の後に訪れてほしいのが、糸満市にあるひめゆり平和祈念資料館。映画『ひめゆりの塔』の公開で、数ある戦跡の中で最も早く日本中で知られるようになりました。

沖縄戦に動員された15〜19歳の女子学生222人、先生18人からなるひめゆり学徒隊が体験した90日を追体験することで遠い過去を身近なものとして受け止めることができる施設です。

旧海軍司令部壕が、当時のままの地下壕そのものを展示の中心にすえ、旧海軍将兵の視点で沖縄戦を伝えてくれるとしたら、ひめゆり平和祈念資料館は、学徒隊の生存者と生存者からバトンを受け取った継承世代の語り部が紡ぐ言葉を通じて、沖縄戦を伝えてくれます。

沖縄戦を自分事として受け止める

ひめゆり平和祈念資料館の外観

沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒と先生で構成されたひめゆり学徒隊。ひめゆりという名称は一高女の校友会誌「乙姫」と女子師範の校友会誌「白百合」に由来する

ひめゆり平和祈念資料館が開館したのは1989年のこと。設立時点から学徒隊の生存者が中心になって、何をどのように展示するかを話し合い、形にしてきたそうです。

戦後60年を前にした2004年には、若い世代に戦争の実態をわかりやすく伝えようと大幅な展示リニューアルを実施。現在は6つの展示室と多目的ホールからなり、実際に体験をした元学徒の証言や継承世代の説明、証言映像、壕やガマのジオラマ、実物資料、展示パネルを通じて過去の出来事を知るだけでなく、自分事として受け止めることができるように構成されています。

今と変わらない青春が確かにあった

夢見る年ごろの女子生徒と青春時代の写真
夢見る年ごろの女子生徒と青春時代
「ひめゆりの青春」と名付けらえた第1展示室は、体験者と来館者の間にある70年という距離を埋めるゾーンにもなっています。今と変わらない夢見る年ごろの女子生徒と青春時代。当然という感じで国に命を捧げようという気持ちを抱かせた当時の教育。

「女の自分達もやっとお国の役に立てる。勝ち戦だから、1週間もすれば帰ってこれる。病院で看護をするのだから誰も死ぬことはないだろう」

当時17歳だった館長の島袋淑子(しまぶくろ・よしこ)さんによれば、多くの人がそういう受け止め方で学徒隊に参加できたことを喜んでいたし何の不安も感じていなかったのだそうです。

理想と現実のギャップに戸惑う女学生

第2展示室は「ひめゆりの戦場」
第2展示室は「ひめゆりの戦場」
続く第2展示室は「ひめゆりの戦場」。南風原の沖縄陸軍病院壕で目の当たりにした現実が昨日のことのように伝わってきます。

「さっきまで生きていた人が、出血多量で死んでいくのをただ見守るしかなかった」これが戦争だと初めてわかったという島袋さん。

兵士が死ぬ時は「天皇陛下万歳」と叫ぶものだと思っていたという学徒隊の別の女性は次のように語っています。「初めて看取った兵隊さんの最後の言葉は家族の名前でした。なぜだろうと思っていましたが、その後もほとんどの兵隊さんがご家族の名前を口にして亡くなっていくのを見て、これが現実なのだと知らされたんです」
学徒隊の生存者が分担して書いたという解説文

ひめゆり学徒隊の生存者の証言文

第3展示室の大型スクリーン
5月25日の撤退命令を受けて動けなくなっていた学友2人を残し、南部に移動した学徒隊。6月18日の「解散命令」で砲弾が飛び交う戦場に文字通り放り出された地獄のような日々。「解散命令と死の彷徨」と題した第3展示室では米軍が撮影したフィルムと生存者の証言映像を大型スクリーンに映しだして当時の様子を伝えています。

もしあの時、この場所に生まれていたら

第4展示室「鎮魂」
そして、資料館の中で最も存在感のある第4展示室「鎮魂」。沖縄戦で命を落とした女学生と先生を弔うための空間です。壁面にかけられた200余りの遺影と生存者の証言は、一人ひとりが生きた証。遺影に添えられたそれぞれの人柄を優しく綴った紹介文。それを読んでから再び遺影に目を移すと、亡くなった学徒隊の皆さんが自分達のクラスメイトのように身近な存在に思えてきます。
第5展示室「回想」

第5展示室「回想」で感想を書く20歳前後の女性

「いずれ語れなくなる日が来るでしょうね」生存者自身が自分たちに代わって体験を語り継いでくれる後継者の育成を模索し始めたのは2000年頃のこと。今では資料館の説明員と学芸員が平和講話などを引き継ぎ始めています。

「ひめゆり平和祈念資料館は戦争の実際を知るための入り口です。私達にできるのはきっかけになることでしかない」年齢的には来館者に近い継承世代の職員の皆さんは、自分達にできることを日々模索しています。

手渡されるバトンの重み

島袋館長

「『あなた探してたのよ。どこに行ってたの?』と問いかけると旧友は何もいわない。そして夢が醒めるの」ひめゆり平和祈念資料館ができるまで、自分だけ生き残ってしまったという罪の意識をずっと引きずってきたという島袋淑子館長

「どこまでも戦争はだめなんです」「気付いたらいつ間にか戦争になっている。そういうものなのです」「自分は関係ないと思っていても、いつの間にかかかわらざるを得なくなっている。それが戦争です」「『外国が攻めてきたらどうするの?』と質問されることがありますが、戦争になる前にやれることがあるでしょう、それをやりましょうよ」学徒隊の生存者が語る言葉はどれもずっしりと心を打ちます。

「同じ話でも島袋館長のように生存者が語るのと戦争を知らない世代が語るのとでは受け止め方が違いますよね」学芸員の前泊克美(まえどまり・かつみ)さんは渡されたバトンの重みをひしひしと感じているそうです。けれども、修学旅行生として訪れた高校生が、教師になって再び訪ねてきたというエピソードを話してくださった時の表情は、とても明るかったです。

自分の中の変化に気づく場所

ひめゆり平和祈念資料館

ひめゆりの塔は終戦の翌年に沖縄戦後初めて建立された魂魄之塔に続いて、2番目に建てられた慰霊の塔。同じ時期に建てられた沖縄師範健児之塔と並んで平和を希求する3つの慰霊の塔とされている

修学旅行で一度ここを訪れたことがある。そういう方も少ないくないでしょう。10代の時に感じたことが時ともにどう変わっているか。結婚して子どもができて感じ方がどう変わったか。自分の中の変化を確認するためにも、ぜひ、もう一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

スマートポイント

  • ひめゆりの塔の裏手はちょっとした林の中にボードウォークがしつらえてあります。ベンチに座って、資料館を出た後で感じたことを振り返ってみるときにおすすめの場所です。 
  • 20名以上の利用の場合は団体料金が適用されます。
    ●団体料金
     【大人】    280円
     【高校生】   190円 
     【小・中学生】 100円
     *引率者は無料

ライターのおすすめ

資料館と合わせて以下のスポットを訪ねてみると、より一層学徒隊のみなさんが身近に感じられるでしょう。
1)沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校があった安里十字路や那覇市大道の大道小学校付近
2)最初の配置先である南風原町の沖縄陸軍病院壕(HP)
3)資料館の近くにある伊原第一外科壕と荒崎海岸
また、沖縄戦で犠牲になった女子学徒隊は他にも本島には瑞泉学徒隊、白梅学徒隊、梯梧学徒隊、ふじ学徒隊、なごらん学徒隊があります。ひめゆり学徒隊以外についても体験継承が行われていますので、ぜひ、チェックしてみてください。ふじ学徒隊は小池隊長の「必ず、生き残れ。親元へ帰れ」という訓示によって、沖縄戦時点での死者は2名にとどまっています。場所の違いも大きいのでしょうが、リーダーによってメンバーの人生が大きく左右されることは今も昔も変わらないといえるのではないでしょうか。

福田展也

目下の趣味はサーフィン・沖縄伝統空手・養蜂。心で触れて身体で書けるようになることが10年後の目標。

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