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特集特集

2015.03.20

なんくるないさぁ~
DE浦島タロ子

writer : KIKO

読者のみなさまこんにちは。
「沖縄を好きになった理由」という特集の記事を書くお題を
いただいたのですが、どうにも魅力が多すぎて語り尽くせないし、
県外から移住してしまったとなると色んな要素のタイミングというのも
あって、気づけばもう足かけ10年住んでしまった今があります。
わたしの沖縄愛をフツフツと感じていただくために、
わたしと沖縄の馴れ初めをつらつらお話させてくださいね。

初めて沖縄に足を踏み入れたのは1989年。
まだ未成年で貧乏旅行でしたので、ツアーオプションでの万座ビーチ行、
那覇のホテルから徒歩観光での国際通り~牧志公設市場、と、
紋切り型旅行だったと言えたかもしれません。
まだインターネットも無い時代でした。
でも、二泊三日の旅でものすごい衝撃を受けました。沖縄って独特~って。
万座ビーチでのシュノーケリングでは、
海の透明度・生物の豊富さ・紫外線の強さを堪能しながら
アメリカ軍関係者にナンパもされたり、
万座までの道のりから見える延々と続く米軍基地
(今思えば浦添~北谷~嘉手納だったんでしょうねえ~)の規模に
ビックリしたり。公設市場ではこれまでに見たことない
数々の品物・読み方がわからない沖縄苗字の選挙ポスターたちがあったり。
南国の熱気のなか朦朧と歩き頭に浮かんだことは
「ここは日本というよりはアジアのどこかだ」という言葉。
当たり前といえば当たり前。元は琉球王国というひとつの国だったのだし、
文化のカジマヤー(十字路)と呼ばれる位置にある島だから、
北はニッポン列島、西には台湾や中国、
南にはフィリピンや南洋が広がっていて、文化が独特になるのも頷ける。

さて体験に衝撃を受けながらもそのうちに東京で社会人デビューし
生活にいそしんでいました。ロックバンドでベースヴォーカルを
とったりしながら写真家のアシスタントをし、
やがてはフォトグラファーにもなり、オーストラリアへの
留学経験を活かして英日翻訳をしたり・・・。
そしてメディア制作の腕を買われ一部上場企業のメディア部署に
入ったものの、転機が訪れてしまいました!
バイク通勤途上左折巻き込みに遭い被害を受け、
その全身打撲の経過が良くなく、思うように動けなくなった
2年間に失職してしまい、一連のことが遠因となって
後に離婚も経験して、人生に対し強い挫折感を味わったのです。
そこで・・・気候のあたたかさ、自然の元気さ、戦争をくぐり抜けてきた
沖縄の忍耐強さ・柔軟な包容力みたいなものに
グイグイ惚れ込んでしまいました!

交通事故あとの体調不良を沖縄は冬でもあたたかく包んでくれ、
健康や幸せや多くのものを短い期間に失って絶望しているわたしを
「なんくるないさー(なるようになるよ)」と、突き放すでもなく、
激励するでもなく、ただ「受け止めて」くれる感覚に
ものすごく救われたのです。すがるように沖縄へ通ってみれば、
そこは芸能の島!沖縄民謡から、琉球舞踊、村祭りに琉球古典音楽、
沖縄芝居に、はてはアクターズまで。もうわたしの大好物である
文化芸能の宝庫なんです。一芸持っている素人さんの多いこと!
最初の3年間は「ここ一番の癒しにとっておきたい」から
手を出さなかった三線も、本場沖縄本島中部のエイサー団体で
地謡をやらないかとの誘いに応じてからがもう大変、
堰を切ったように狂ったように沖縄三線音楽にのめってしまいました。
だからでしょうか、沖縄一の老舗民謡クラブと言える「なんた浜」で
奇跡的に採用されてから今年で10年目。沖縄民謡唄者として
伝承の唄、昔の流行歌、琉装、沖縄語などなど身につけて、
オリジナルの持ち歌「十五夜ぬ思い」のCDを発売するまでになりました!
絵にも描けない美しさ、鯛や平目の舞踊りに心奪われた
浦島太郎のように早十年です。
竜宮城とは琉球のことだったのではないのかな。
人生はほんとに何が起こるかわからない。十年住んでも
ようやく沖縄の一通りを知っただけという気持ちです。
知るほど魅力がいっぱいで奥がまた深くなる。
まだまだKIKOの沖縄での旅は終わらないようです。
CDを持つKIKOライター

KIKO

沖縄移住歴10年以上! 紆余曲折人生そして沖縄民謡歌手へ。 歌と文章で大好きな沖縄の魅力を発信していく。

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