絹糸の声
静かに宴は始まった。
空間に揺らぐゆったりとした三線(サンシン)の音色。
細い指がしなやかに三線の弦を行き来する。
グレーの品のある着物の首元には赤の襟がちらりと覗き、
彼女の「粋」さを際立たせている。
目を閉じたまま歌い出すその唄声は、
伸びやかでいて情感がある。
歌い出しの一瞬で
この場が彼女の世界に切り替わってしまう程の味ある深さだ。
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大城美佐子の唄声は「絹糸の声」とも表現される程に
艶があって、柔らかい張りがある。
そこに三線の音色が絶妙に絡まっていく。
沖縄民謡を聴いていて感じることがある。
それはリズムが定まっているが
どこかで定まっていないという感覚だ。
淡々とリズムを刻むそれを実際に計ったら、
きっと一定なのかもしれない。
だけどそう感じさせない何かがある気がする。
そのリズムは唄の情感とぴったり寄り添い、
その時々で長くも短くも表現されるように聞こえる。
一音一音のあいだにある微妙な伸び、
その感覚は見えない部分としてある沖縄民謡の深みだと思う。
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![misako005](https://www.smartmagazine.jp/okinawa/wp-content/uploads/2015/06/150604162303_misako005_612.jpg)
即興で遊ぶ
「沖縄の民謡は、唄というよりかは語り。
その時々で、いま何を唄うべきかをその時の感じで決める。」
と美佐子さんは言う。曲の歌詞は決まっているものでは…?
話を聞いてもよく分っていなかったその意味を、
ライブの後でお弟子さんの大城琢さんが教えてくれた。
「さっき唄ったうたは『豊節』『川平節』
そして『ナークニー』です。
『ナークニー』には、メロディーはあるけど
実は歌詞がしっかりとは定まっていない。
そこに、その時々で合うものを即興で選んでうたっていくんです。」
本土で言う「和歌」のように、
沖縄にも「琉歌」というものがある。
言葉だけでメロディーのないその琉歌を
「ナークニー」のメロディーにのせ、
男女で掛け合いながら即興でうたっているという。
それは誰にでも出来ることではない。
数多くある琉歌を理解し常に親しんでいないと、
直ぐに口からは出ないだろう。
豊富な経験も必要なので、
最近は難しいからとあまりやりたがらない人の方が多いらしい。
でも昔はこうやって掛け合いで唄遊びを楽しんでいた、
そんな技を沖縄では様々な所で見れたのだ。
ローカルの腕試し
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民謡酒場は本来、地元の人達の腕試しの場であり、
歌や三線自慢のうちなーんちゅが集い
そこで演奏しては遊ぶような場所だったという。
「商業的ではない、これが本来のうたの楽しみ方です。」
そう言う琢さんは、
本当に沖縄民謡を愛しているんだなと思うほどに、
この日うたってくれた歌詞の意味をとても丁寧に教えてくれた。
そんな中、またライブが始まった。
今度は台湾からのお客さんが太鼓で飛び入り。
美佐子さんも三板(サンバ)を叩いて踊りだす。
ラストはお客さんも混ざってのカチャーシーで、
場は一気に盛り上がりを見せた。
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![misako008](https://www.smartmagazine.jp/okinawa/wp-content/uploads/2015/06/150604162302_misako008_612.jpg)
沖縄民謡の奥深さは、それを生で体験することでしか味わえない。
「沖縄のポップスと民謡は違う。
若い人達も、いずれは本当の民謡に近づければ最高だね。」
カウンターに立つ美佐子さんは、そう言って微笑んだ。
文章 Hinata
写真 Yoshiaki Ida